見えない世界を感じること

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人生が大きく変えるポイントの一つが『見えない世界』を感じられるかどうか、ということだと思う。

見えないだけに、「そんなものあるわけない」とか「何を馬鹿なこと言ってるの?」なんて思われることも多い。

きっとそれは、やむを得ないことと言っても良いのだろう。

しかし…

本当のところ、見えないからと言って、それがないとは言い切れない。

例えば光線。

“可視光線”という言葉があるということは当然ながら“不可視光線”というものも存在する。

“不可視”、つまり見えないということだが、それでも光線はあるとされているわけだ。

もっと言えば “電氣”だって普段は見えていない。

例えば照明が明るく光っているときや電化製品が機能しているときには電氣の存在を感じるかも知れないが、電氣そのものが見えているということはあまりない。

せいぜい雷などの現象のときくらいではないだろうか。

だが、見えていなかったとしても電氣は間違いなく存在している。

これに異論を唱える人は、特に現代人であればいないのではないだろうか。

それほど、いわゆる“見えないもの”は我々の生活の中で確固たる存在感を放っていると言える。

これを押し広げて考えていくと、いわゆる『霊界』とか『宇宙人』などの存在も否定はできないのではないだろうか。

いきなり肯定したり受け入れたり信じたりする必要はない。

ただ、『否定できない』ということを認められるかどうかということは、人生の理解を深める上で大きな分岐点になるような氣がする。

“見えないもの”を受け入れるかどうかは言うまでもなく自由。

しかし、それを受け入れればもっと自由が広がるのではないかと個人的には感じている。

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